巡り終わる季節

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 「ツェーリン、あのちびすけに付いてくれねぇか」
 一人テントに呼ばれ、中に入ってすぐに投げかけられたその言葉自体に驚きはなかった。“あのちびすけ”が誰を指すのかも、ツェーリンには容易に察することができる。

「ザードのことですか?」

 それでもツェーリンは確認するように問い返した。いま、薄暗いテントの中にいるのはツェーリンと、向かい合って立っている大柄な男だけだった。完全な白髪、というよりは少し水色がかった髪の色。そしてまるで炎のように赤い瞳。奴隷として捕まらないようにするには、自らが強くなるしかないと悲壮な決意をした北の民。ゼファは実際心身ともに強い男だった。その強さは他の男達を引きつけ、彼は自分達北の民を追い詰めた“南の”人間達をまとめて小さな傭兵隊を持つまでになったのだ。
「嫌か?」

 この隊に所属する男達は、何も彼の腕っ節だけに引かれたわけではない。ゼファの面倒見の良さ、そして真っ直ぐに一本通った考え方。それら全てを、慕っていた。ツェーリンも例外ではない。そしてゼファが口にしたザードという若い仲間も、今は同じだ。

「……いいえ。最初は確かに高慢なはねっかえりでしたがね。今は……それなりに魅力があります」
「頭領になれる器だと思うか?」

 なれない、と頭から否定することはできなかった。ゼファの元で、体の細い頭でっかちの生意気な少年から、肉体的にも精神的にも大きく成長した青年は、元々あった性質を良い方向へ開花させていた。おそらくこの隊に所属する他の誰よりも、将来皆の上に立って男達を率いていく素質があるだろう。けれど――。

「尊公ほどになれるかは分かりません。まだ子どもですからね」

 そこは譲れない、とばかりにツェーリンは声を高くして答えた。誰よりも、目の前の男ほど自分達の主とも言うべき存在になれる男はいなかった。

「ツェーリン、それは俺を過大評価しすぎだ」

 男は本心からそう言ってみせるけれど、ツェーリンにしてみればそれは不要な謙遜以外のなにものでもなかった。

「何とでもおっしゃってください。私たちにしてみれば、尊公は神にも等しい」

 いや、信じていない神とは比べられない。彼は自分を救ってくれた。神よりも確実に、体温の感じられる無骨な手で、自分を引き上げてくれたのだ。

「随分がさつで、乱暴な神だな」

 そうかもしれない。けれどそれでも――。

「慈悲深くあるよりはましです」
「……そうか」

 ツェーリンの歯に衣を着せぬ言葉に、ゼファは顔をくしゃりと歪めた。改めてその顔を見ると、確かにゼファも年を取ったのだ、と感じずにはいられない。顔に刻まれたのは戦いの傷だけではなく、年月がまるで刃のようにつけた大小の皺。しかしそれは単に老いたという証ではなく、それだけの傷を体に刻み付けながらも生き続けてきたという証なのだ。自分もこうありたいと思う生き様を、ツェーリンは目の前に見ている。

「ザードを次の頭領にするにしても、まだ先のことでしょう? その時まで私がここに所属する体力があるか分かりません。ザードも老いてさらに頑固になった元金貸しを側に置くよりは、新しく若い衆を連れた方がやりやすいでしょうしね」

 ゼファとツェーリンはおそらく二十ほどの年の差がある。だがザードとツェーリンも十歳ほど離れているのだ。独立した傭兵隊を持つのが早くとも二十代後半と考えると、ザードがその年齢に達する頃にはツェーリンも四十に近い。元金貸しというのは本当のことで、傭兵となった後に体を鍛え始めたツェーリンは、例えばひとつ違いのエリオほど体力に自信があるわけではない。おそらく、四十近くなれば引退を考えている頃だろうと自分でも想像がつくのだ。もちろん、ゼファだってそんなことは予想できるだろうと思うのに。

「そんな時間はない。俺には、時間がねぇんだ、ツェーリン」

 首を振りながら苦い顔で答えたゼファに、今度こそツェーリンは本当に戸惑った。

「頭領? 何故そんないきなり」
 ゼファがそんなに急ぐ理由が、ツェーリンには分からなかった。

「年寄り連中にはもう話した。近々、一度隊を解散する。それからザードを頭領にして、新しくあいつに付いていく奴を募る。お前には、あいつに付いてもらいてぇんだ」

 あまりに突然の話だ、とツェーリンには思えた。もしかしたら、先に説明を受けていたという古参組みには予感していたものがあったのかもしれないが、ツェーリンが気付かなかった頭の決意を、若い連中が見抜いていたとはとても思えない。つまり隊の殆どの連中にとって、ゼファの引退宣言は寝耳に水の話となるだろう。ツェーリンは突然突きつけられた新しい流れについていけず、焦ってゼファに訴えた。

「頭領、尊公はまだ若い。ザードに後を譲るには早すぎる」

 実際、ゼファの年齢はまだ五十前だ。傭兵として、体力の衰えを感じ始める年齢であることは確かだが、ツェーリンと違って若い頃からこの世界に身を置いてきた彼なら、これまでの経験と場数の多さで肉体的な衰えを補って余りある。何より小さいとはいえ傭兵隊ひとつを纏め上げる指導力は、まだ二十にもならないザードとは比べようもない。

「お前やザードに比べたら年をとったさ。それに、俺には定められた時間がある」
 そんなもの、取り払おうと思えばできるはずだ。ゼファ自身が決めた時間ならば。けれどだからこそ、取り払おうと思えないのかもしれない。そう思ったツェーリンの気持ちを見透かしたかのように、ゼファはそっと微笑んだ。

「俺はな、心配なのさ。あのちびすけ、拾ってから随分成長したが、それでも変えられなかった部分がある」
「心配なら、もう少し側に居てやればいいだけのことです。ザードにとって尊公は父親に等しい存在だ」
「そりゃ、ちっと違うな、ツェーリン。ザードはずっと自分の居場所を求めている。心のどこかに、血の繋がった親父のところへ戻りたいと思っている部分がある。そして戻っても、受け入れられないだろうことも分かってんのさ。だから、あいつには居場所がないんだ。だからいつも身軽でいようとする。死ぬことにためらいはないだろう」

 そんな危うい部分をザードが持っていない、とはツェーリンも思えなかった。確かにゼファの元でザードは変わった。しかし最初の生意気な、世間をなめてかかっていた高慢な時の方が、年相応の生きるという活力に満ちていたように思う。
 だが何も、今のザードが死にたがっているというわけではない。ただ、高慢さを捨てざるを得ないこの傭兵生活で、ザードは年齢よりもずっと大人びた、一種の悟りさえ感じさせる落ち着きを手に入れたのだ。その姿は頼もしくもあり、一方でゼファの危惧するような雰囲気もあった。

「……ザードを亜精霊と契約させたのは、少しでも責任を持たせるためだったのですか?」

 ザードはおそらく、血の繋がった親と離れたことで自立したのだ。しかしそれは同時に、この世に自分を繋ぎ止める杭を失ったようでもある。自分のためだけに生きるというエゴを、生来高潔なザードは持てずにいる。だから何かしら、自分の外に生きる意味が必要だとゼファは見抜いたのだ。それも形のある意味を。

「それもあるな。単純に、北の民でもないのに亜精霊と契約する力があることに気付いて、試してみたかったという部分もあるが」

 ツェーリンは言葉を探すために俯いた。心に浮かんだ疑問を、そのまま口にしていいものか迷ったのだ。けれど、これで最後だと言い切るゼファに、遠慮して口を噤んで何になるというのだろう。ツェーリンは顔を上げて問いを投げた。

「ザードに隊を持たせて、少しでも生きる理由を与えようと? つまり私たちはザードを引き止める杭になるわけですか」

 ひとりの若い仲間のために、他の者を利用しようというのか。そういう意味で多少皮肉に問いかけた言葉だった。けれどゼファはその挑発的とも言える問いには全く動じない。

「だから最初に聞いただろ? 嫌か、と」

 ここで嫌だ、と言えば留まってくれるのだろうか。ツェーリンは一瞬そう考えた。けれど落ち着いたゼファの対応に、ツェーリンは彼の決意、その強さを見てとった。ゼファはおそらく、長く考え抜いた上でこの場に立っている。何度も考え、練りに練った今日、この場の会話なのだ。それを思うと、ツェーリンは嫌だと突っぱねることができなくなった。言ってみたところで、ゼファは必ずツェーリンを説得してしまうだろう。それくらいの覚悟は、とうにしていたはずだ。

「……今まで、頭領にとっても私たちはそんな存在だったのですか?」

 こうして責められることも、考えていないはずはなかったのだ。だからこそ、こんな風に穏やかに笑う。

「そうだな。お前たちが居なければ、俺は自分の命にもっと早く見切りをつけていただろう。お前たちにとっても、俺はそんな存在じゃあなかったか?」

 本当の父親さえ、こんな優しい包み込むような穏やかさをたたえた笑みは見せなかった。見ていられないほど、優しすぎる笑みは。

「……確かに、尊公に出会わなければただ死んでいくだけだった奴ばかりでしょう。私も含めて……」

 神が人を救うことがあるというなら、その意味でやはりゼファはツェーリンにとって神にも等しい存在で間違いないのだ。だが慈悲の神が頼る人を見捨てないとすれば、いまツェーリン達をおいていこうとしているゼファは確かに慈悲の神ではなかった。例えその笑みが慈愛に満ちていたとしても。
 杭という表現は正しい、とツェーリンには思えた。人には結局、自分がそこにあるための起点を示す杭が必要なのだ。こうして流れながら生活する傭兵達も、隊に、または離れた故郷にその杭を打ち込んできている。そうしてそれに繋がる細い糸を頼りに生きているのだ。ただその杭は一生変わらないというものではない。現にゼファは杭を捨てていこうとしている。そして、若いザードは杭の在処を一時的に見失っている。

「我々で、ザードを引き止めることができると思われるのですか?」

 今までゼファに起点を置いていたツェーリン達も、ゼファがいなくなれば杭を見失う。けれどザードを新しい頭領と認めれば、ザードも、そしてツェーリン達も杭をお互いに置くことができる。それが彼らのためだと、ゼファは思ってくれているのだろう。

「あいつはな、責任を持てばそれを果たそうとする真面目な奴だ。頭も俺よか切れるしな。決して冷たい奴じゃあない。自分に対して以外は」

 だからザードのためにも、杭になってくれとゼファはツェーリンを呼び出したのだ。それはゼファの、ツェーリンに対する評価でもある。若いザードが頭領となっても、ツェーリンが付いていれば隊は成り立つ、とゼファは考えてくれたのだ。その評価はツェーリンにとっても嬉しいものだった。 

「……分かりました。ザードを頭領と呼ぶことにはあまり乗り気ではありませんが、しばらくは新しい隊の金庫番をしましょう。この隊で私以上に金の管理ができる奴がいるとは思えませんからね」
「頼もしいな、金がなけりゃ隊はなりたたねぇ。今までもお前には随分世話になったからな」

 そんな、これで最後のように言わないで欲しかった。例えこれが本当に最後だったとしても。

「ちびすけを頼むぜ、ツェーリン」

 その信頼に対して、素直に頷くことはできなかった。行かないで欲しい。まだ、自分達には強い指導者が必要だ、とツェーリンは思った。けれども同時に、いつまでも自分達は子どもではないのだとも思えた。ゼファに頼りきって生きるわけにはいかない。だがどんなに考えても――。

「ザードを私に頼んで、尊公はどこへ行かれるのです? 私達を置いて」

 恨みがましくきこえても、どうしても訊かずにはいられなかった。そんなツェーリンの言葉に、初めてゼファは胸の痛みを覚えたような顔をした。

「悪りぃな……。だが、これはもう二十年も前に決めていたことだ。俺は、お前ら全員を置いても、会いに行かなけりゃいかない相手を待たせている。……いや、待たせているだけじゃあねぇ、俺も、そいつのところへ行く日を待っていた。……ずっとな」

 そう言って目を細めるゼファはツェーリンの知っているゼファではなかった。待たせている相手は女だ。ツェーリンは直感した。何か、ゼファなりの理由があって別れていた女の所へ戻る時がきたと、そう言うのだ。

「与えられた二十年を、お前らと過ごせたことは俺にとっての宝だ。それは他の人間を排しても守る価値のある宝だった」

 それは尊敬するべき男からの、最大の賛辞だった。素直に受け取ることができたら、どんなに誇らしかっただろうか。

「それでも、尊公は行ってしまう」

 その宝を手放してでも、欲しいと思っていたものの元へ。ツェーリンが呟くと、ゼファはそんな彼に背を向けて言った。

「去る者は追うな、ツェーリン。お前達には、まだまだこれから目にしなければならないことがある」

 そう言ったゼファの背を、ツェーリンは忘れることができない。これまでずっと目にしてきた大きな、広い背中。ずっと付いていけばそれでいいのだと思ってきた、まるで道標のような。それを失うことなど、考えてもみなかったというのに。

 一方的に置いていかれることなど、考えたこともなかったのに。
 けれど歩いていれば出会う道標は変わっていく。それが当然のことなのだ。

 ツェーリンが神よりも慕った男は数日後、他の隊員にも自分が去ることを告げ、そして本当に彼らを置いて行った。どこへいく、とも告げず、ただこの先、決して自分のことを探さないようにと言い残して。
 そうして残された隊員のうち、ゼファより年を取っていた数人の男達はこれを機に傭兵という生活から足を洗った。そして残りの男達はゼファの望んだ通り、ザードという年下の青年の元について傭兵生活を続けることを選んだ。
 ひとつの時代が終わったのだ。
 ツェーリンはそう思った。巡る季節の中で、ひとつの流れが終わり、新しい流れが生まれようとしている。その流れに乗り、しかし無闇に翻弄されることのないように、ツェーリンは新しく自分を支える杭を打ち込まなくてはならなかった。

「行くぞ、ツェーリン」

 朝日が昇りきらないうちに、テントを畳み終えた隊が出発する。足下に氷のような色をした狼を従えている黒髪の青年が、ツェーリンにそう呼びかけた。師とも父とも仰ぐ男を、ただじっと無言で見送った青年は、すっと伸ばした背の向こうで少し憂いを感じさせる瞳をしている。

「えぇ、出発しましょう、頭領」

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